WSISのアジア太平洋地域の準備会合は東京で2003年1月13日から始まり、1月15日に幕を閉じました。この会議において、市民社会の構築という観点からは非常に残念なことがいくつかありました。
会議の冒頭で、中国政府代表が、この会議に台湾のNGOが中国政府の承認なしに参加していることに異を唱え、その後も再三この問題を持ち出し、会議は紛糾しました。もともとNGOは産業界とともにオブザーバーの資格で参加していましたが、インド政府の提案ですべてのNGOの参加資格は「オブザーバー」から「非公式」に変わり、さらに最終的には台湾のNGOの名前を会議の記録から抹消する、という中国政府の主張が通ってしまいました。また、参加者リストも台湾のNGOの名前を消したものが再配布されました。
中国政府の強硬な態度と周到なロビー活動に、他の多くのアジア諸国も同調した形です。ヨーロッパやアフリカなどの地域会合ではNGOの参加は無条件で認められており、この件は悪い前例を作ってしまったと言えます。
また、これはWSISだけの問題ではなく、今後の国際会議でのNGOの立場に影響を与えることが懸念されます。なお、台湾の産業界も参加していたが、こちらは全く問題にされませんでした。
浜田忠久(JCAFE代表理事)は、この会議の初日で宣言文の起草委員会にアジアのNGOからの4人のメンバーの一人として参加しました。20人ほどの委員のうちNGOの席は二つだけであったため、交替で出席しました。この起草委員会も、NGOが参加しているため、「非公式助言団(informal consulting group)」という位置づけに変更された上で始まりました。
最初に事務局が用意した草稿では情報通信産業の推進ばかりが強調され、「人権」、「コミュニケーションの権利」、「表現の自由」など市民社会にとって重要な言葉や考え方が入っていませんでした。私たちNGOはそれらの考え方を採り入れるよう粘り強く主張し、一部を宣言文草案に盛り込むことができました。しかし、中国政府、イラン政府などが政府による管理を強める方向での提案を繰り出し、それらは他の政府などの賛成によりすんなり通ってしまい、全体としてはNGOにとって満足できない内容で確定してしまいました。
2日目の宣言文確定会議には会議参加者は誰でも出席でき、ここで非公式助言団による草案が討議され、修正の上採択されました。確定会議ではNGOの比率が高まり、多くの参加者から市民の権利を認める方向での発言がありました。言葉として「人権」、「コミュニケーションの権利」は入りませんでしたが、「表現の自由」が入るなど多少の前進はみられました。
しかし、「情報社会についての世界の共通ビジョンの確立」が会合の主旨であったにもかかわらず、全体からみると市民の権利に関する文言はわずかしか盛り込まれず、東京宣言は他の地域会合の宣言文と比べてもかなり後退した内容となってしまったのです。
アジアのNGOコミュニティとしては、台湾のNGOの問題も含め、NGOの扱いや最終的な宣言文は全く了解できないものでした。そして、会合の最終日にNGOコミュニティとして東京宣言への抗議声明を発表しました。

